水産資源は誰のものか?「国民共有の財産」となっていない謎? 

日本の漁港 資源が減り水揚げ量も減っているのに漁港への税金投入は続く。

水産資源は法律で「国民共有の財産」になるはず??

長年の疑問?なぜ未だに「水産資源は国民共有の財産」と法制化されていないのか?2011年7月22日の閣議決定。内閣府ホームページポイントを下記に表示。

https://www.cao.go.jp/sasshin/kisei-seido/publication/p_index.html 閣議決定・追加方針本文はの32ページの【農林・地域活性化 ⑰】

水産資源は誰のものか?2007年に(社)日本経済調査協議会(水産業改革高木委員会)でこの議論が始まりました。そして2011年7月22日に「国民共通(共有)の財産」として上記の引用通り閣議決定されています。しかしながら、2021年8月現在、まだそれが法律になっていません。

漁業・水産業で成長を続ける国々では、国が水産資源管理を行っている。

日本では、沖合漁業と沿岸漁業そして釣り人との間で、感情のもつれや不信感が絶えません。一方で、ノルウェーのように水産資源が豊かで、漁業で成長を続ける国ではそのような話を聞きません。大型巻き網船は大活躍です。なぜでしょうか?

それは、ノルウェーやオーストラリアのように「水産資源を国民共有の財産」として位置づける、もしくは米国のように「国民の負託を受けて国が管理」する、つまり水産資源管理を漁業者に丸投げせず「国が管理」している点で大きく異なるのです。

繰り返される争い

魚が減って獲れなくなってくると、魚は誰のものなのか?という争いが起きます。魚が山ほどいて獲り放題な状態の時には、この不幸な争いはほとんど起きません。

しかしながら、水産資源は有限であるがゆえに、ある時点から管理が機能していないとほぼ例外なく減少が始まります。そして徐々に減りだした資源は、突然急激な減少を引き起こします。その例は、近年では、サンマ、スルメイカを始め枚挙にいとまがありません。

そして、自国の分け前を増やそうと論争が起きます。その典型的な例は、戦後の食糧不足解消のために、世界中の海に進出して世界最大の漁獲量を1972年から1988年の長期にわたって誇ってきた日本に対して起きました。

このため、主に日本漁船を排除しようと1977年に200海里漁業専管水域が設定されました。日本の遠洋漁業は大打撃を受けることになります。また英国漁業もアイスランドの漁場から排斥され大きな打撃を受け今日に至ります。

日本排斥後に、米国やニュージーランドで起こったこと

1976年に米国はアメリカ化を行い外国の排除は1991年に完了したと紹介されている

しかしながら米国では、日本漁船を追いだした後、カニ漁業者がたくさんのカニ漁船を建造、これによりカニ資源の減少を引き起こしました。この問題を解消するために、米国は当時カニ漁業者にとっては未利用魚であったスケトウダラを漁獲させて、行き場を失っている日本の漁船に洋上で買い取らせて過剰漁船問題を解決して行きました。

ニュージーランドの漁船と漁港

一方、ニュージーランドでも、1977年の200海里専管水域の設定で日本漁船が排除されるようになると、一大漁業ブームが起きて漁業許可が乱発されました。しかしながら資源が減少してしまいました。そこで1982年には許可証の一時凍結も行われ、漁獲努力量の50%削減計画が打ち出されました。そして自国の沿岸漁業を根本的に見直すことに決めてできたのがITQ(譲渡可能個別割当制度)なのです。

米国でもニュージーランドでも、日本漁船を排斥しても同じように乱獲が起きています。しかし日本との大きな違いは、水産資源管理の問題に気付き、漁業者に「自己管理」の名のもとに漁業者に管理を丸投げせずに、科学的根拠に基づく「国の管理」で資源が回復し、現在の成長と繁栄につながっているのです。この点が結果で明らかな通り、成長か衰退かの決定的な違いです。

東カナダ沖・大西洋で起きたマダラの乱獲

MSC認証のきっかけになった東カナダでのマダラ資源の崩壊 FAOデータから作成

太平洋だけでなく、大西洋でも乱獲による資源崩壊が起きています。東カナダでのマダラ漁は、1977年以前に各国が入り乱れて乱獲を起こしました。そして1977年の200海里漁業専管水域の設定により、他国をカナダの海域から排斥して行きました。

本来であれば、この時点で科学的根拠に基づく水産資源管理を行っていれば、カナダは1992年~2021年現在に至るマダラの禁漁という憂き目にあっていなかったことは確実でした。

しかしながら、今度は自国で乱獲を引き起こし、マダラ資源にとどめを刺してしまったのです。この反省からできたのが国際的な水産エコラベルであるMSC認証ができたというのは有名な話です。

禁漁してほぼ30年経っても東カナダのマダラ資源は再開できる資源量に回復していません。イカナゴニシン、ホッケなどすでに激減してしまった日本の多くの資源は、この状態に近いかも知れないと言わざるを得ないのが残念です。

「水産資源が国民の共有財産」になると何が変わるのか?

資源の状態が良いノルウェーのマダラ 40cm以下は漁獲禁止 水産資源は国民共有の財産

日本の至るところで、漁業者や水産加工業者が困っている根幹にあるのは、魚が減ってしまっていることです。これを回復させねばなりません。しかし、肝心の資源に関するデータが足りないということが起きています。そこで、漁業者に対して漁獲データの提出を義務付けることです。

また、国民がその共有財産が、水産資源管理の不備で減少していることに対して関心を持ってもらうことです。そこで「なぜ日本の海の周りだけ魚が減り続けるのか?」という「異常事態」に気付いてもらうことです。

かつて水産庁の高官の方に「なぜ国民の共有財産とならないのでしょうか?」と聞いたことがあります。その時には「そう意識しています。」という返答でした。しかしながら、法律として明記されるかどうかが大きな違いではないだろうか?と今でも考えています。